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正垣親一
(1947.7.20-2001.4.16)
お知らせ
 故・正垣親一の三周忌を兼ね、2003年11月3日〜9日まで銀座・澁谷画廊で、『追悼のロシア』展を開催いたします。
 著・訳書、雑誌連載、ラジオTV、ニュースレターを展示し、生業の傍らソ連の体制批判派擁護に奔走、 ソ連崩壊後は窮乏するロシア支援を実践してきた足跡をたどります。
 取材・活動中の写真や、ロシアで集めた絵画・工芸品もご笑覧ください。紅茶やお酒や乳酸菌ミコー、音楽や生演奏を楽しみつつ、カフェで寛ぐ気分で、賑やか師だった故人を偲んでいただければ幸いです。

●写真・禁無断転載
追悼展開催にあたり、皆様にご協力いただき、ランチ宅配の援助をしているモスクワの学校を代表して、ユリアン・Y・アレクセーエフ先生をお招きすることになりました。
 
ユリアンさんはバクー音楽院出身で、学校の名物先生。正垣が一番仲良しだった先生です。生演奏をたっぷり聴かせていだだこうと思っています。


1999年1月肺癌切除直後

1997年夏、右顔面のしびれを訴えて受診。側咽頭に腫瘍があると判明。9月に切除。拳ほどの混合腫瘍だったが、抗がん剤も放射線も無し。元気に仕事に復帰していたが、翌98年8月肺に影。父親の介護と葬儀を終え、99年1月に肺癌を切除。転移と判明。夏から自宅で酵素風呂療法を開始。快調で秋・冬とロシアへも行ったが、2000年夏に異変。脳に転移した4センチ大の腫瘍を8月末に切除。9月から放射線治療。11月のガンマナイフ手術を経て暮れに退院。自宅療養していたが、脚の痛みから3月半ば日赤緩和ケア病棟に入院。2001年4月16日没。


1992年より窮乏のロシア支援活動を開始

正垣親一(まさがきしんいち)プロフィール
1947年7月20日 疎開先の長野県生まれ。
東京外国語大学ロシア科卒。
自然食品会社経営の傍ら、旧ソ連反体制派の支援活動に従事。調査研究、講演、評論多数。 

主な著作

●『地下ロシアの声』(編訳・柘植書房)
●『政治と精神医学』(共訳・みすず書房)
●『収容所社会ソ連に生きる』(編著・別冊宝島)
●『ソ連とよばれた国に生きて』(共著・宝島社)
1983年、ソ連地下情報誌『サムイズダート』創刊。
1985年よりニュースレターを発行。
その他、雑誌連載、ラジオTVコメント出演、取材。
■成城高校時代は水球選手、東外大時代は剣道でならしたスポーツマン。泳げない生徒たちの水泳指導のため、夏の恒例千葉・富浦の母校の遠泳合宿に30年通った。泳ぐのが大好きで、ときどき誘われて行く温泉でももぐったり泳いだり。誕生日が「海の日」になり、依頼を受けて記念冊子に寄稿。式典にも出席しました。
■専攻はソ連現代史。学生時代に通訳として商社の船でシベリアへ行ったのが、ロシア初体験。70年代はアムネスティと協力して人権擁護集会を組織。「サハロフ擁護キャンペーン」を主宰し、海外での会議に参加、活動家を日本に招くなど奔走。ソ連崩壊後はロシアや中央アジア諸国を頻繁に訪れ、庶民の実態を取材した。
■自然食品業界では、クロレラ科学研究会を運営。品質向上と普及につとめた。快食グルメで声が大きく、明るい人柄で皆に愛された。広尾の日赤緩和ケア病棟に入院中マッサージを受けていたのがきっかけで日赤でアロマ講座が始まり、構内にハーブ園も開設されました。皆様、ほんとうにお世話になりました。
「追悼のロシア展」実行委員会●片岡みい子・若山迪子・稲見惠七・鈴木淑美・奥村泰雄・宮松広行・瀧野秀則        

ここからはご報告。画廊は一週間限定ロシアン・カフェに変身。
追悼展には400名余の方々にお運びいただきました。本当に有難うございました。

ほのぼのとした味わいの粘土人形。
なぜか羊の男女物が
集まってしまいました。


おなじみのグジェリ。
バイオリンを弾くゴキブリが奇妙にキュート。
ロシアの陶磁器は素敵なもの揃い。全部ほしくなります。これは1930年代のデザイン。
右の絵は、正垣がどうしても欲しいといって購入。木枠からはずして持ってきました。絵画は油彩を中心に小品を含め約30点。水彩や版画、諷刺画も展示しました。ポスターやリトグラフも面白いです。絵皿もいろいろ。下手ウマっぽい作品やロシアならではのキャラも笑えます。

追悼展にはのべ400名余の方々にお運びいただきました。本当に有難うございました。オープニングパーティーでは、ユリアン先生はタキシードで演奏してくださいました。ロシア土産のシャンパンスコエ5本はあっという間に飲み終えました。正垣さんも下りてきて、一緒にいるような賑やかさでした。会期中、大勢の方々と正垣さんの話をすることができました。皆様の暖かいお気持に触れて幸せでした。


ユリアン先生は、毎日画廊で演奏してくださいました。海を見に江ノ島へ小旅行、三鷹市のシュタイナー学校訪問、科学技術館で開催中だった弦楽器フェアへもいらっしゃいました。焼き海苔とわさびをお土産に買い、帰国後、学校で皆にお寿司をふるまったそうです。


搬入は、ほとんど引越荷物を持ち込む感じでした。展示は壁ごとに担当を決め、ロシア構成主義っぽくを合言葉に思い思いに飾ってもらいました。画廊の奥半分はポスターや絵画を、手前半分は数百枚の写真と資料を展示しました。