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ロシアトップ頁 SOS通信 絵画コレクション 取材写真 追悼展

モスクワは赤の広場の
聖ワシーリー寺院。
正垣が最初にロシア(当時はソ連)へ行ったのは、60年代末に商社の魚船の通訳のバイトだったと聞きました。その後、サハロフ博士をはじめ反体制派の擁護キャンペーンや良心の囚人へ葉書を出す運動などをしていたので、なかなかソ連に入国できませんでした。ソ連の内情や人権情報は、地下出版物(サムイズダート)で伝わってきましたし、海外在住のロシア人たちとの連絡は密にとっていました。しかし、庶民の暮らしぶりはほとんどわかりませんでした。ゴルバチョフ政権になり、反体制派が収容所や流刑先から戻ってきたあたりから、ソ連に入国できるようになりました。是非、反体制派たちの話を聞きたいと、80年代半ばから頻繁に取材に行きました滞在期間は短いのですが、見るもの聞くもの、食べるもの着るもの、なにもかもに興味をひかれました。写真もたくさん撮ったので、これから掲載していきます。よろしかったら、ご覧ください。
サハロフ会議でアルメニア、アゼルバイジャン、グルジアへ行ったときは、ほとんどヘリで移動。意外と安定した飛行で、不安はほとんどなかった。
●写真・禁無断転載
ヴォルゴグラードのママイの丘。巨大な像。

反エイズキャンペーン組織を取材。
ナゴルノ・カラバフのアルメニア難民。
サハロフ会議のメンバーたちと。
紛争のナゴルノ・カラバフから避難してきた子供たちが暮すモスクワの施設を訪問。

ウクライナはドネツク炭田の、値か800メートルの切り場。かがんでやっと入る。
スターリンの秘書だった男性をインタビューした。得意なアコーデオンを披露してくれた。
作家のソロウーヒンさんの別荘を訪問。ジャガイモと豚脂肉の塩漬けとウォトカで意気投合。すっかり酔ってしまった。
  ホワイトハウスから出火。
  夜には炎上してしまう。

明け方降り立った鉄道駅から、泥道を3時間歩き、着いた村で馬が出迎え。
村のおばさん宅でサモワールでお茶を入れてもうらう。
学校の理科室の標本。
モスクワのギャラリーでの写真展。友人トーマスのヌードと同じポーズをとる。

孤児院へ薬を運ぶ。
学校が夏休みラーゲリを借りたズヴェニーゴロドは風光明媚な静かな村。川の向かい側には古い教会が建っている。子供たちは岸辺で遊び、水泳が得意な正垣は、ユリアン先生と泳いだ。川幅も広く、流れが速く、水が冷たいと言っていた。
食堂でのランチは、子供たちも一緒。
トルクメニスタンの結婚式で、正装した女性とその弟。

カローメンスカヤの黄葉。文字通り、「黄金の秋」
暮れの仮装パーティや学校での演劇祭では、譲ってもらった舞台衣装を着る。
学校で山羊とポニーを飼い始めた。子供たちが世話をする。
氷点下20度30度はあたりまえ。