VOL.1/NO.6 1996年4月25日
一日労働奉仕と孤児院訪問
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人参、ジャガイモの皮むきを手伝う
 
麻薬更生青年たちと食堂の壁削り作業

1993年12月、『月刊プレイボーイ』誌にSOSフォンドの活動が紹介された明くる1994年早々、記事を読んだモスクワ駐在の商社マン原伸一さんから電話があり、「1月末にコンサートをするので、そのあがりを寄付したい」という申し出があった。

時を同じくして、元東京新聞モスクワ特派員で千葉商科大学の高橋正教授から、「2月末〜3月初めに、学生25名と欧州旅行をする。モスクワ滞在中1日だけでもなにか手伝わせてほしい」という連絡。それなら労働奉仕だけでなく、援助先の生徒や先生、孤児や青年たちにも出演してもらい、モスクワでコンサートをと、話が発展した。

1994年2月28日、日本の学生たちは、学校のランチ宅配、「お助け食堂」の廊下の壁修理、孤児院の改装修理の3グループに分かれてホテルを出発。前日のバス観光とはうって変わって、通勤ラッシュの地下鉄で奉仕先へ向かった。

学校ランチ組は、エプロンを借りて厨房で野菜の皮むき。宅配メニューと同じランチを学食で食べたあと、生徒たちの宅配に同行。聴覚障害児のダンス授業に参加したり、美術教室で日本の折紙を教えるなど、各自特技を披露した。

孤児院組は、壁修理やパテ塗りを手伝い、孤児たちと交流。お助け食堂では全員で大々的な壁削り。ツアーの添乗員氏も丸一日作業を手伝ってくれた。食堂の責任者は、「さすが日本人。ロシアの若者が3週間かかってもできない作業を1日で終えてしまった」と感心することしきり。

訪問した孤児院は、一般孤児院と異なり、駅や通りで暮らしているところを、民警に補導された子供たちが収容されている。浮浪児になった理由は、親が死んで身寄りがなくなった、捨てられた、肉親とはぐれた、アル中の親や虐待から逃げ出したなど、さまざまだ。浮浪児を収容する公けの施設はオスタンキノ地区にあり、定員250名のところに 500名を収容。環境は劣悪で、むしろ犯罪者を生み出している。

こうした問題を少しでも改善しようと、1993年初め、築30年の元幼稚園の建物の一部を借り受け、特別孤児院を開設した精神科医のスヴェトラーナさんに協力、医薬品を寄付する。
 
ここでは、子供がやってくると、まず髪を切り、からだを洗って、服を着せ、栄養状態を回復させる。収容対象は3〜16歳。収容期間は原則として1カ月〜45日。半年以上の例外もあるが、この間に孤児たちの行き先が決まる。

開設1年半で、収容孤児はのべ400人。うち半数は民警経由で親元に戻り、7人には里親がみつかった。アメリカで暮らしている例も1つある。そのいっぽうで、50〜70人がここから逃亡している。一番必要だと頼まれたシラミとり薬は、新宿の薬局で購入してきた。SOSフォンドは、物資提供のほかに、これまでに孤児院修理費として3度にわたり500ドルを援助している。

ベッドが足りず、廊下のソファに寝ている
 
孤児院の壁修理