VOL.1/NO.3 1996年4月25日
お助け食堂
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快適な季節には、朝から集まる クリスマスには子供たちが慰問に来る 忙しいピークは1時間ほど

首都の南西部にあるこの食堂には、歩行可能な老人約130人が、火曜・木曜・日曜の週3回、昼食(一日で一番充実した食事)を食べにくる。

席は80ほどなので、入れ替えで2回。食事内容は、パンとチーズ、スープかお粥、そして砂糖入り紅茶だ。7年前に老人たちのために日曜食堂を始めた篤志家に財政援助するかたちで、週3回のスープキッチンに発展させた。

食費は、 1994年当初1食約10円だったが、今は50円にまで上がっている。やってくるのは、高齢の女性が圧倒的に多いが、最近障害者や失業中の男性の姿が増えた。小鍋や広口瓶を持参して、家族の分を持ち帰る人もいる。

ここには、ヨーロッパからの援助物資を配布する施設が併設されている。援助マフィアの実態を知った西側の援者は、悪用されないよう資金援助を減らし、援助の主流は物資になった。近所の人たちが、子供や孫のためにおもちゃや文房具、家族のために衣類や帽子・靴などをもらっていく。不公平のないよう、スタッフが身分証明書番号と日時・品目をその都度ノートに記録する。

厨房スタッフは地元の女性たちだ。調理や配膳、あとかたづけなどを、母娘や高校生の友達同士で無給で手伝ってくれている。

孤独な暮らしをおくる人たちにとっては、週に3回、外出着に着替えて集うことは、情報交換もできるし精神衛生にもいい。裏でおしゃべりしながら、12時に扉が開くのを待つ。食後にスタッフに相談をもちかける人もいる。

かつては、足腰が丈夫な老人たちは、昔の国営食料品店を朝から何軒も回り、安い品やめぼしい品を買い込み、部屋にはおよそ半年分の食料を備蓄しているのが普通だった。しかし、今はパンもジャガイモも値上がりして備蓄どころではない。何年も肉を口にしていない人もいる。

1995年開きからパンが値上がりしたため、この食堂でも、パン工場と提携し、粉を渡してパンを委託製造してもらうようにした。

インフレは終息したと政府は公言するが、世相はすさみ、凶暴性さえ帯びてきている。酔った男性の姿もある。敵意にみちた目で私たちを睨みながら食事をする男たちもいる。

それでも、クリスマスや祝日には、孤児院の子供たちが慰問に訪れ、歌を披露したり、お菓子を一緒に食べる。こうしたイベントに皆が救いを見出している。

足が悪いので杖をついて来る 食べ残しなど決してしない。お茶を持ち帰る人も 食べきれないときは、持ち帰る