1970年代からの動き
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1960〜1970年代

1968年プラハの春で正垣は署名を集めるなど活動を始めた。70年代は講演会、体制批判派資料集の出版、ロンドン本部およびアムネスティ日本支部と連携して「良心の囚人」を支援する運動を展開。左上は、ロイ・メドヴェーヂェフとロンドンの自宅で会見。

1980年
サムイズダートでソ連の地下情報を紹介。1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻を非難したサハロフ博士が80年1月にゴーリキーに流刑される。上の『月刊プレイボーイ』は1980年4月号。1982年5月21日、山手教会でサハロフ誕生日集会を開催。原卓也、寺沢英純、菊地昌典、川崎浹、加賀乙彦、江川卓による講演。
1983年
1983年2月、女性運動家マモーノワさんを招聘、来日。銀座のH氏の画廊で水彩画作品展と各所で講演会。ロシアでの女性の暮らしぶりについて各紙誌、NHKの取材を受けた。荻窪のポロン亭で日本のフェミニストたちとの討論も。
1983年
1983年から、『ソ連人権ニュース』を毎月発刊。国際ペンクラブの会合で来日したカート・ヴォネガット氏と協力して、反体制派知識人の釈放を訴える声明を出した。
1984年
1984年6月、ゴーリキー市での軟禁状態が続くサハロフ夫妻の解放を訴えて、息子であるアレクセイとリーザ・セミョーノフ夫妻来日。議員会館やプレスクラブで講演、ソ連大使館への抗議行動、メディアからの取材に応えた。
1986〜87年
1986年、反核集会出席のため、ソ連・バルト諸国から活動家たちが来日。ソ連の実情を講演してもらった。1987年には、ナチスの収容所を送られるところをワレンバーグに救われたユダヤ人のひとりアグネス・アダチさんが来日、やはりリトワニアでユダヤ人を救った杉原千畝氏の夫人と対面した。
1987年

1987年1月に別冊宝島『収容所社会ソ連に生きる』を出版。12月ワールド・フィルハーモニック・オーケストラの一員として来日した友人フラートキン氏をはじめ有志4名が練習の合間をぬって国立小児病院で小さなクリスマス・コンサート。

1990〜93年
 
1990年、インタビュー集『ソ連と呼ばれた国に生きて』の取材で各地で話を聞く。91年にはテレ朝取材でグルジアやアゼルバイジャンへ。同年5月のサハロフ会議後はナゴルノ・カラバフへ。1992年、東京でSOSフォンド設立。『サムイズダート』誌発刊。1993年、モスクワのホワイトハウス炎上。食料危機についても取材。

1996年

1996年5月21日、サハロフ記念館がオープン。世界中からメンバーとサポーターが集結、内外メディアが取材した。館内は、運動の経緯がわかるような展示になっており、ライブラリーもあって情報センターになっている。オープニング式典の後、分化会にわかれてシンポジウム。夜はモスクワ音楽院で、オーケストラをバックに、ユーリー・バシメトの名演奏を楽しんだ。